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「人畜無害」な自分を、少しだけやめてみようと思う話

最近、自分のこれまでのあり方について、ずっと考えていたことがあります。 一言で言うと、「人畜無害であること」を、一度卒業してみてもいいんじゃないか...そんなことです。

こういうことを書くと、「え、でじちん、どうしちゃったの?」って思われるかもしれませんよね。でも、これはいきなり過激なことを始めるとか、誰かを攻撃するとか、そういう話ではないんです。

ただ、自分のこれまでの4〜5年を振り返ったときに、今ここで殻を破っておかないと、自分という人間が「整いすぎて消えてしまう」気がしたんですよね。

(これはXの記事機能のお試しで書いてみたんですけど、意外と心の整理に役立ったので残しておきます)

「人生の先」が見えてしまったあの日

少しだけ、昔の話をさせてください。 今から4〜5年前、私はある仕事やプライベートなど様々な要因が重なって、「あ、自分の人生、このまま行くとこうなるんだな」っていう、先の方まで続いているレールが見えてしまったんです。

その先は別に不幸な結末ではないはずだったんですけど、当時の私にはそれが、ものすごく恐ろしいことに思えました。仕事も、生活も、予測可能な、しかもあまり楽しくなさそうな範囲に収まってしまう。その事実に愕然としてしまって、「第二の自分」を見つけるためにもがいていた時期がありました。

そんな時にたまたま触れたのが、粘土だったんです。 幼稚園以来の感覚だったけど、これがすさまじく面白くて。 時を同じくして、尊敬するイラストレーターの寺田克也さんがNomad Sculptを使っているという話を聞いて、「iPadだけでデジタルで造形ができるんだ!」って、そこから私の「デジタルねんど」の生活が始まりました。(あと物理粘土もね!)

「解説者」という安全地帯

最初はもう本当に何もわからないので、必死でした。 人間の顔ってどうなってるの? 塗装って? 分割って? 3Dプリンターなんて、何度失敗して絶望したかわかりません。でも、あの日々が一番「生きてる」感じがしたのも事実です。元がゼロなので伸びしろしかないのですから!

そして私は忘れっぽい性格なので、自分の学んだことをブログやSNSにまとめていきました。 それはお裾分けの精神にも近く、「置いといたら誰かが読んでくれるかもしれないし、そうじゃなかったらそれでも良し」と言った温度感でした。なのでPVとかSEOもあえて気にせずなスタイルで運用していました。

でも、それがたまたま、これから始める誰かの役に立って、「助かりました!」「読みました!」って感謝の言葉をいただけるようになった。それは本当に、本当に嬉しいことだったんです。

いつの間にか私は、「デジタルねんどの使い方を教えてくれる人(でじちん)」という場所をいただいていました。

ただ。。。色々思うこともあります。実は去年、2025年の1年間を使って、初心者から中級者までを導くための巨大な「学習コンテンツ」を作ってたんです。 (まだ詳細は書けませんが)。

少なくとも超初心者向けから、中級者(キャラもジオラマも作る)向けのデジタルスカルプトを解説するコンテンツって結構レアだと思っています。構成や作例のプロトタイプ、画像、動画などの素材もできています。

あとは作るだけなのですが、ふと。

「あれ、私は本当にこれがやりたかったんだっけ?」って。

そう思う瞬間が出始めていました。

厳密に言えば

「やる意義も価値もあるけど、不確定要素が強く、今の自分がワクワクしない事をやりきれるか?」という自分への問いかけが生まれたとも言えます。

今まで「人畜無害」を暗黙のポリシーとしていた自分に気がつき、それに本当にGOサインを出すべきか? という事に気がついたともいえます。

誰にも引っかからない「無味無臭(≒人畜無害)」の恐怖

解説ブログを書いていた時、私自身も「よくわからない熱狂」の中で、日々気づきがあり、それが嬉しくて書いていたなと、思い出しました。

今は、NomadやBlender、ZBrushの発信者もすごく増えました。 作り方の解説、特に初心者チュートリアルは、調べればわかりやすい内容が、たくさん出てきます。 そんな中で、自分が「正しくて、安心安全な解説者 ※」という枠の中に留まり続けることに、何か違和感を感じてしまったのです。

※無駄に強い言葉を使う人、インフルエンサー的な人があまり得意ではないので、こういう立ち位置になりがちという側面はあります。デジタルマーケティングのお約束、A/Bテスト的には目立つサムネが押されるし、強くて断定的煽る方がコンバージョンが良い事は分かってます....が、それを、創作でやりたくない。。。。 でも厄介なことに、かつての「自分でもよくわからない熱狂」があまりないのに、PVやいいねが気になってしまう。あれ、何かがおかしい。

人畜無害っていうのは、言い換えれば「誰の感情も揺らさない」ってことでもあります。 リスクを冒さない。強い言葉を使わない。煽らないし変な驚きもしない。コンプライアンス的に完璧。 それは社会人としては100点満点かもしれないけど、創作をやる人間としては、なんというか、だんだん「透明になっていく」ような感覚だったんです。

極端な話、何もしないのが一番、人畜無害なんですよ。えぐみもない。匂いもしない。いてもいなくても変わらない。 そんな「無色透明な安全地帯」に、自分はいつの間にか収まってしまっていたんじゃないかなって。

「自分の性癖、全部詰め込めばいいのに」

そんな葛藤の最中、ある方から言われた一言が、ずっと刺さっています。 「なんで自分の性癖を、好きなだけぶち込んで作らないんですか?」

正直、ショックでした。 私はずっと、オリジナル作品であっても「お外に出してまずくないモチーフ」を選んだり、無意識にブレーキを踏んでいたんです。

いや、意識的にブレーキを踏んでました。

社会人(≒会社員)としての視点。 ポリコレ。 生来の保守的な性格。

でも、殻の外側を覗いてみれば、自分が惹かれるのはもっと「偏った」ものだったんですよね。 決して18禁的な要素をやりたいわけじゃない。でも、身体の異様な緊張感だったり、少し危うい質感だったり、何かに執着しているのが伝わってくるような、そんな「偏愛」が詰まったものに、やっぱり心を持っていかれるんです。

2026年、少しだけ「狂気」を飼ってみる

去年の年末、デジタル造形武者修行を経て、私はありがたいことに(ようやく?)「人型」を作れるようになりました。そしてファンアートを作れるようになり反応もいただけて、とてもとても嬉しかったです!

「できない... & しなければ」な技術的なコンプレックスは、一旦突破できました。 だからこそ、2026年はその技術を使って、「人畜無害な安全性の高い解説者」の殻を、少しだけ割ってみようと思います。

「人畜無害なでじちん」を完全に捨てるわけではありません。 有益そうなTipsを伝えたり、伝えたりすることも、誰かの役に立つことも、私の大事なアイデンティティの一部です。※あとインフルエンサー路線に行くことも絶対ないです!

でも、これからはもう少しだけ、自分の「偏り」を隠さずに出していきたい。 「いい意味で、この人ちょっとこじらせてるよね」 「普通に見えるけど、中身は少しヤバいよね」

そんな風に思われるくらいの、自分の中に少しだけ「狂気」を飼っているような、そんな造形者として進んでみたいと思っています。

誰も傷つけない、でも、誰かの心に深く刺さって抜けないような、そんな「偏愛」を形にする1年にしようかなって思っています。

それがどんな形になるのかは、自分でもまだよくわかってないんだけどねー。 でも、そう決めた今の方が、ずっとワクワクしています。

これからも、そんな少しずつ変わりゆく「でじちん」を見守っていただけたら嬉しいです。 とりあえず、やってみます!

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