目次
まえがき
この記事は主に2026年末の自分用に書いているものです。
ただ、もしかしたら誰かのお役に立てるかもしれないので、ここに書き残しておきます。
今年は公私ともに色々あった一年ではありましたが、創作系のトピックスを、つらつらと書いていきたいと思います。

そんなわけで、長文 + お気持ち多めなのです。
その1 :創作における「スピードはパワー!!」と悟った話
まずはこの話から。ゴールデンウィークに粘土で作品を作っていたときに気づいたことです。
今年は粘土での習作や練習を結構やっていて、男性、女性、動物など、デジタルねんど以外も色々触っていました。
ただ、振り返ってみると、制作期間は1日だったり3日だったりと、短い期間で終えることが多くて、どうにも「クオリティが上がりきらない」「中途半端で終わったな……」という感覚が残ることが多かったんですよね。
そんな中、GWにたまたま時間が取れて、1作に5日くらいかけてみたことがありました。
すると、最初の3日で基礎的な、大まかな形がほぼ出来上がり、残りの2日があれば、ディテールに踏み込むことができたんです。



作品名「ねずみのかちこみ」

これは自分の中ではかなり大きな発見でした。
今まで1〜3日で終えて「なんか微妙だな」「中途半端だな」と感じていた作品も、実はその時点で基礎的な形自体はほぼ出来ていて、ディテールを詰めるための時間が足りなかっただけだったんだな、と気づいたんです。
これを本業(会社員)的な言い方をするなら、単純にずっと「見積もりがうまくできていなかった」という話になります。
3日でベースラインのクオリティ、5日かけると“ディテール込みの作品”になる。
そう考えると、もしスピードをあげて、基礎的な部分を1.5日で仕上げて、残り半分の時間をディテールに回せれば、3日でも作品として成立する、という目処が立つわけです。(理論上は)
じゃあ、なぜスピードが上がらない、むしろ落ちるのかというと、一番の原因は「迷うこと」「悩むこと」だと思っています。
迷いがなければ、理想的なゴールに向かって一直線に進める……と言いたいところですが、実際には作っている途中で必ずお悩みポイントは出てきます。
それでも、迷いの総量を減らすことはできます。
そのためには、作り始める前にアウトプットのイメージをできるだけ具体的に想像しておくこと、必要な資料を先に集めておくこと、どうしてもイメージが湧かない場合はマケット(本制作前の小型試作品のようなもの)を作ってみること。
こういった準備が、結果的にスピードを上げることにつながるのだと実感しました。
※このあたりの経験が、年末にかなり大きく役立つことになるのですが、それはまた後で書こうと思います。
その2:自分の造形的好みの解像度が上がった話
今年は、ワンフェスやデザフェス、カリフェス、カラットなど、いろいろな創作イベントに足を運びました。
それだけでなく、美大や藝大の卒展を見に行ったり、美術館や企画展示を巡ったりもしていました。
そこで目にするのは、作品の情報量がとんでもなく、もうクオリティが段違いで「すげえ……」としか言いようのない作品ばかりです。
ただ、それとは別に、デフォルメが効いた作品に、同じくらい胸を貫かれていました。
これらは、モチーフの選び方だったり、世界観だったり、「かわいい」「面白い」「キレイ」といった、ごくシンプルな感情を強く喚起するものだったりします。
ここで大事なのは、どちらが偉いとか、凄いとか、優秀だとか、そういう話ではないということです。
そうではなくて、「ああ、自分はこういうものが好きなんだな」という気づきが、はっきりしてきた、という感覚に近いですね。
この感覚自体は創作活動を再開した時(2022)からもっていましたが、当時は「造形力がほしい....!」とか「NomadとZBrushを極めたら...」とか、そっちの気持ちのほうが強かった。
でも最近は、かつて創作仲間が
「造形力が高いことと、面白い形を作れることは別だよ」
と言った言葉を、この一年で何度も思い出していました。
情報量が多いからリアルってわけでもないし、リアルだから良いってわけでもない。
でも、ただ単に雑な形を「デフォルメ」とするのが明確に間違ってる。
そんなことにようやく気がついたし、少し作れるようになってきたからこその気付きなのかもしれません。

自分としては、できることならその両方を目指したい。
ただ、その過程で、いつの間にか
「人にウケるものを作らなければ」
という思考にすり替わってしまわないように、そこは気をつけていきたいな、と思うようになりました。
その3:NomadSculptの学習コンテンツについて考えたこと
このあたりは、だいぶ婉曲な表現になります。
NomadSculptに関して言えば、私が情報発信をし始めた頃(2022年とか)と比べて、利用しているユーザーも、チュートリアルを出している人も、かなり増えたように感じています。 それ自体はとても嬉しいことですし、「ちゃんと広がってきているな」と感じる場面も多くありました。
一方で、自分のブログのことを振り返ると、「作品を作る・練習すること」と「解説記事を書くこと」を並行して続けるのは、思っていた以上に難しかった一年でもありました。
もちろん、今年の初めにワンフェスで販売したNomadSculptの解説本(同人誌なのか、ZINEなのか、呼び方はさておき)が完売したことは、本当に嬉しかったですし、Boothなどでも温かいコメントをいただいて、「やってきてよかったな」と強く感じる瞬間でもありました。
ただ、もともと自分のブログは、「自分がやっていて、よく分からなかったことを、誰かの役に立てばいいな」という、お裾分け的な精神で書いてきたものです。 その結果、時間が経つにつれて昔の記事は少しずつ古くなり、そこに新しく発見したことを追記していく、ということを繰り返していました。
気がつくと、それはサグラダ・ファミリアのようでもあり、横浜駅や渋谷駅のようにいつも増改築してる、なかなかにややこしい構造になってしまっていました。
そこで実は、今年のかなりの時間を使って、NomadSculptを最初から最後まで、ある程度体系的にまとめた解説コンテンツを作っていました。 大まかな構成や図版の整理までは進んでいます。
ただ、これも色々と事情があって、今年中にリリースすることはしませんでした。 もしかしたら来年、何らかの形でお届けすることがあるかもしれませんし、ないかもしれません。
こうした活動を続ける中で、次第に自分の中の“評価との距離感”についても考えるようになりました。

こう、記事のの文体からもお察しかもしれませんが、一度通しで文章を書いたあとに、
こうやって吹き出しで色々追加していく性分があったりします。
ここで書いてる"評価との距離感"は、解説記事を書く自分と、作品を作る自分が、実は完全に重なっていなかった事を指しています。
その4「承認欲求」って、他にいい言葉はないのかな?
ちょっと話の方向性は変わりますが。
いいねをもらったり、反応をもらったり、インプレッションが増えたりしたら、やっぱり嬉しいものです。
にんげんだもの、というやつですね。
ただ、ブログやSNSをやっていると、どうしても他者と比較してしまう。
他人と自分を比べるのは地獄への片道切符だ、ということは、そこそこ生きていれば分かっているはずなのに、それでもやってしまうのが人間です。
もちろん、常に上昇思考で、トップ・オブ・トップを目指す人を否定するつもりはありません。
高い目標を掲げて、自分を追い込み、それでも継続できるのであれば、それはとても健全なことだと思います。
ただ、その結果として
「やっぱり自分にはできなかった」
「自分には価値がない」
というところに行き着いてしまうと、それは本当にもったいないし、正直かなり悲しい。
最近は、この感覚を「承認欲求」と呼ぶよりも、
「単にドーパミンに支配されているだけなのでは?」
と思うようになってきました。
いわゆる、ゲームのガチャやSNSの通知、もっと言えばギャンブル全般と似た構造です。
これらは結果(レアキャラやお金)が手に入った瞬間ではなく、成功か失敗かがまだ分からない“未確定の状態”のときに、ドバドバと分泌されるらしいです。
このドーパミンとの付き合い方を、いかに自分で制御できるかが、長く創作を続けて、少しずつ上手くなっていくための分かれ道なのだと思っています。
とはいえ、あれもこれもと手を広げすぎると、創作活動は気がついたら、とんでもなくややこしいことになってしまいます。
「やりたい(Want to)」だったはずのものが、いつの間にか
「やらなければならない(Have to)」
にすり替わっている、ということもありました。
SNSの運用だけでなく、ブログの更新や、リアルイベントへの参加なども含めて、悩ましい状態が続いていた時期があります。
ただ、今振り返ると、
「解説者として食っていく。作品は作らない」
という覚悟があるならともかく、自分はやはり“ものを作っていきたい”側の人間でした。
それなのに、新作がほとんど作れていない期間が長く続いていた時点で、
「あれ、なんかおかしいぞ」
と、もっと早く気づくべきだったのかもしれません。
新しいものが作れなくなっていた原因については、次のマインドブロックの話につながります。
その5: 気がつくと生まれているマインドブロックを、なんとかする
私は特に今年から、考えていることや思考を、できるだけ書き残すようにしています。
いわゆる「モーニングノート」と呼ばれるものに近いですが、時間帯にこだわらず、とにかく頭の中にあるものを外に出す、という感じです。
(『ずっとやりたかったことをやりなさい(The Artist’s Way)』の、あのノートです)
そうやって書き続けていると、創作に関する思考が、とんでもない量の
- 「〜できない」
- 「〜してはいけない」
- 「〜どうすればいいだろう」(コレは一件良さそうに見えるけど、課題感だけ出して解決に繋がっていない、厄介なやつ)
で埋め尽くされていることに気づきました。
いやもう、どうなってるんだ、という感じです。
具体的なものもあれば、かなり抽象的なものもあります。
- 「ポージングが作れない」
- 「服装を作れない」
- 「いつも似たような構成になる」
- 「キャラクターにストーリー性がない」
かと思えば、
- 「二次創作(ファンアート)が作れない」
- 「キャラクターに似ない」
- 「愛が足りないのではないか」
……と、具体と抽象の両方向から、延々とダメ出しを受けているような状態でした。
ここまで言語化できているなら、
「じゃあ、やればいいじゃん」
と思われるかもしれません。
でも、できないのです。
それこそ、
- 「〜できない」↓
- 「〜どうすればいいだろう」↓
- 「〜やってみたけど、できなかった」↓
- 「〜どうすればいいだろう」↓
という、無限ループにきれいに突入していました。
一見すると綺麗なPDCAサイクルを描いでいるように見えるのも、結構タチが悪いと思います。
本当に、どうしたものかと、心のどこかに引っかかりを抱えたまま日々を過ごしていた、という感覚が正直なところです。
では、最終的にどうしたのかというと……
ものすごく拍子抜けするような話なのですが、
「軽い気持ちで始めること」と「続けること自体を目的にすること」
を選びました。
具体的には、
- 「その日1日で作れるものを作る」
- 「夜にXに投稿する」
- 「それはそこまで」
- 「翌朝、また別のものを作る」
という習慣を、生活の中に組み込んだだけです。
もちろん、
「そんな中途半端なものを、毎日ポストするなんて!」
というマインドブロックは、ものすごい勢いで鳴り響いていました。
(ずっとやりたかったことをやりなさい、でいうところの検閲官かなぁ)
ただ、正直なところ、心の中のそいつらを相手にすることにも疲れてしまって、ある時から
「これは全部、練習である」
と割り切るようになりました。
Xに投稿すること自体も、何かを評価してもらうためというより、儀式とか、おまじないに近い感覚です。
いいねやインプレッションも、気にしないようにしよう……と思いつつ、完全には無理なので、淡々と上げ続けることだけを意識しました。
※あ、普段いいねを押してくださる方、本当にありがとうございます。嬉しいものは嬉しいのです。にんげんだもの。
そんな練習を始めてから、3週間くらい経った頃でしょうか。
「1日でファンアートを作れるだろうか?」
と、ふと実験してみたくなりました。
そこで、前から作ってみたかったダンジョン飯のマルシルを作ってみたところ、本当に1日で完成してしまいました。
自分でも、正直かなり驚きました。
さらに練習を続けて、4週間を超えたあたりで、
「じゃあ、長期間かけてファンアートを作ることはできるだろうか?」
と思い、今度は『オルクセン王国史』のディネルースを作り始めました。
結果として、一週間と少しで、最後まで完成させることができました。(半年前の自分なら1か月かかって作るのを諦めている)
本格的なファンアートを作り切れた嬉しさももちろんありましたが、原作の樽見京一郎先生からコメントをいただき、嬉しさのあまり小躍りしていたのを覚えています。

オルクセン王国史は原作小説と、コミックがあるよ!今回作ったのはコミック版の方だよ!
超面白いので、ぜひ読んでほしいです!!
ここにきて、ずっとノートに書き続けていた
- 「〜できない」
- 「〜してはいけない」
という壁を、実はすでに突破できていたのだ、という事実にようやく気づきました。
では、その壁を倒すために必要だったものは何だったのか。
- 「ガタガタ言う前に、とっととやれ!」でもなく(ちょうどこのころクリエイター論がXでよく流れていた)とか
- 「できないのには、きっと原因があるはずだ……」でもなく、
結局のところ、
- 考えすぎて、作る量が圧倒的に少なかった。 → 経験値が少ないから判断出来ず、同じところをチョコチョコ変えて時間がすぎる。
- その量を担保する習慣化ができていなかったこと → 毎回決意とやる気に頼る必要があり、起動しない、しても燃え尽きる。
- 何に、どれだけ時間がかかるのかを見積もれていなかったこと → 平日も含めて日常に落とし込めない。創作が次のステップに進まない。
この三つに尽きるのだろうな、と今は思っています。
一見すると、「とっととやれ!」の一種にも見えるけど、考えた上、自分の特性に合わせて実行して、結果的に「ああ、こういうふうにすると良いのか・悪いのか」を納得しつつ続けたので、ちょっと違う。たぶん。
そしてこれらに対処するためには、
- 意思に頼らない習慣化、(歯を磨く用に作る)
- 全ては練習だと思い、1日単位で次に行く気持ち (経験値稼ぎと、1作に過度な未練を持たない練習)
- それによって得られる「この時間で自分はどこまで行けるんだろう?」という実績値に基づいた見積もり。 (安定して作り続ける)
これらが大事だったかなと。

ああ、あと大事な点をもう1つ。
「キャラクターが似ない問題」については、1つ発見がありまして。
キャタクターはそれぞれ特徴的なビジュアル(服装や顔、髪型、色、取りそうな行動・ポーズその他)がありますが、
これらの全てを一定レベルにまで作らないと、そもそもジャッジさえ出来ない点です。
必要な要素をある程度作り込んでようやく「ちょっと似てきた?」「いやコレは....似てない、ツライ」となるのだなと。
言葉にするのがとても難しいですが「雰囲気が出てるか?」ということもできそうです。
そういう意味でも、短期間で全体を一定レベルまでもっていく、それまでは個別のパーツレベルを作り込まないことが重要なのかもしれません。
その6 .創作でも役立つ「お見積り」スキル
「見積もり」という言葉は、特に本業ではよく使うものですが、振り返ってみると、創作においてはあまり発揮できていなかったように思います。
というか正直なところ、
「なんで楽しみで、癒やしでもある創作活動にまで、仕事みたいな要素を入れなきゃいけないんだ」
という気持ちも、ずっとありました。
でも、どうやら逆だったようです。
本業で無意識に使って、上手くいっている技能やらマインドを、創作に突っ込めば良かったのです。
そして突っ込んだところで、創作タイムが穢れることも(そんな極悪な本業ではないですが)、つまらなくなることもなかったです。

もちろん完全に使っていなかったわけではなかったですが。
正直に言うと...... 昔クリエイティブ系インフルエンサーが「神機能で時短!時短!」 と言いまくっているのを見て、
「創作活動に過度に時短やらコスパ・タイパを突っ込むものなのか?」と残念に思い、
「時間をかける=正義」までは行かないにしろ、効率化をそこまで追わないスタイルになっていました。
今は「良い作品を作るために、短期間でいかに作り切るか?」という考えにシフトしています。
経験則として、時間がかかりすぎる場合、燃え尽きたり、お蔵入りする可能性も高い為、
熱量が高く維持できる間に進めて、全体像ができたら、ゆっくり作り込む、が自分にはあっていると気づいた点もあります。
自分のような兼業クリエイター、つまり本業が別にある人は、実際かなり多いのではないかと思います。
というか、本業がクリエイターの方であっても、Xなどで「趣味造形」と書いて投稿しているのを見る限り、本業の時間と、生活に必要な時間の合間を縫って、僅かな時間で作っている人がほとんどなんじゃないかな、と感じています。
だからといって、ガッチガチのプロジェクトマネジメントをしろ、という話ではありません。
PMBOKだとか、WBSだとか、ガントチャートとか。。。そういうものを持ち出したいわけではなくて、
「特定の時間で、自分はどこまでやれるのかを知っておくと、創作のハードルが下がる」
という話です。
でも、プロジェクトマネジメント自体の考え方は結構有益だったりするので、
関心がある方いたら、以下の本がわかりやすいです!
作品制作も練習も、ある意味プロジェクトマネジメント......。

かなりざっくりですが、
- 「〜1時間」
- 「2〜3時間」
- 「1日」
- 「3日」
- 「1週間」
といった時間軸で考えるようにしています。
例えば、今の自分であれば、
- 素体にラフなポージングをつけるだけなら、1体30分
- 事前準備ができている状態で、服あり・ポージング付きなら3時間くらい
- ファンアートは、だいたい〜2週間 (マケット的な実験作であれば1日)
こんな感覚です。
仕事のある平日は、毎日数時間まとまった時間を確保するのは正直難しいので、
「今日は30分触れたらOK」
と割り切る日もあります。
パソコンやiPadにすら触れない日には、通勤中にキャラクターの印象や設定を、文章や言語としてメモするだけ、ということもあります。
これが意外と、後から見ると発見があったりするんですよね。
休日も、予定が急に空いたり、逆に入ったりと安定しませんが、今年に入ってデスクトップ版のNomadがリリースされたことで、家と外で作業環境を行き来しやすくなったのは、かなり大きかったです。
いずれにしても、
- 「次の日にできることを、寝る前に考えておく」
- 「その日にできることを、起きたときに考える」
予定が急に変わっても、その状況に合わせて
「じゃあ、何作ろっかなぁ」
と考えられるようになった。
これは、2025年の終わりではありますが、
達成できてよかったことのひとつとして、挙げていい気がしています。

この生活というか習慣が身について、結構生活スタイル自体が変わって、
テレビは完全に見なくなり、Youtubeも時間を食われるのでかなり慎重に使うようになりました。
Webサービスのアルゴリズムは怖い怖い....
2026年の抱負
2026年は、正直なところ、もう今の段階で予定の詰まり方があまりよろしくない方向に見えています。
ただ、2025年の後半にようやく形になってきたワークフローがあるので、それでどこまで対応できるのか、実地検証に入る一年になりそうです。
NomadSculptの新しいコンテンツについては、状況次第です。
デジタルねんどを広める活動自体は、引き続き続けていきたいと思っていますが、それと同時に、作品作りや練習にも、ちゃんと時間を割いていきたい。
デジタル彫刻、デジタルねんどの界隈は、NomadSculptもいい感じに広まってきていますし、ZBrushもiPad版・PC版ともにUI刷新が進むなど、全体として活性化してきている印象があります。
だからこそ、自分がどこで、どんな形なら貢献できそうかを、うまく見極めながら、何かしら価値を提供できたらいいな、とは思っています。
とはいえ、考えすぎて動けなくなるのも本末転倒なので、もし迷い始めたら、その時間は素直に「自分の作る力を上げる」ほうに振り切ってしまおう、とも考えています。
2025年は、人物造形やキャラクター造形にかなり比重を置いた一年でした。
まだまだ修行が必要なのは前提としても、自分なりに見れば、一定の成果は得られたと思っています。
そのうえで2026年は、
- デフォルメが効いている、まるっと、つるっとしたキャラクター作りに挑戦したい。
- 自分が好きで作りたいもので、
- できればパーツ分割が少なく、デザフェスなどでコンパクトに持ち運べて、ちゃんと売れるキャラクター。
そんなものを、デザインして、実際に売ってみたいな、と思ったりしています。
なんか後半は煩悩が増えているな。

造形力を上げる、という意味では、人間の顔にフォーカスした練習や、ドール的な可動フィギュア、服作りなどにも興味があります。
関心はあれこれ広がるのですが、広げすぎて収拾がつかなくなるのも大変なので、そのあたりは引き続き見極めながら、です。
今やっている練習の習慣については、2026年もそのまま続けていきたいと思っています。
今はまだ、「量をこなせば上手くなるフェーズ」→ 量が質に転化していく段階だと認識してます。
いつかは、質や精度がより強く求められるフェーズに入るのだと思いますが、それはもう少し先の話。
なので、当面は引き続き、という感じでいこうと思います。
おわりに
2025年も残りわずかとなりました。
2022年から創作活動に復帰した身としては、今年一年は様々なことにチャレンジを広げ、かつ年の瀬に、
今までの創作活動の壁を破れたなぁ、という実感のある終わり方を迎えられました。
2026年をどう使っていこうか、まだ決めかねてるところもありますが、引き続き「つくる人」を続けていきたいなと、思っております。
みなさま、今年1年ありがとうございました!良い年末年始をお過ごしください。
それでは!!
今回もお疲れ様でした!お茶にしましょう〜
いきなり頑張っちゃうと疲れちゃうので、
ときどき休憩を入れながら、ちょっとづつ体得していきましょう〜!

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それでは!
